June 8, 2025
Series: Power Source
Speaker: Maki Umakoshi
Book: Romans
わたしは何のために苦しんでいるんだ?最近、そんな疑問をもったことありますか?ローマ書5章は、苦難が無意味なものではなく、忍耐を生み、人格を練り、やがて希望へとつながっていく大切なプロセスであることを教えています。神は私たちを苦しみの中に放置されるのではなく、その中で確かに働き、愛を注ぎ続けておられます。だからこそ私たちはどんな試練の中でも希望を失わずに歩むことができるのです。
June 1, 2025
Series: Power Source
Speaker: Maki Umakoshi
Book: Romans
「お金さえあれば、なんとかなる」と思ったことはありませんか?でも聖書は、どんなに努力しても、お金を積んでも、決して手に入らないものがあると語っています。それが「救い」です。ローマ書4章では、アブラハムが行いによってではなく、神を信じた信仰によって義と認められたことが語られています。この真理は、私たちの誇りを取り去り、心に感謝と喜びをもたらします。救いとは、買うことも稼ぐこともできない、しかし信仰によって無償で受け取ることのできる、神からの最高のプレゼントなのです。
May 18, 2025
Series: Power Source
Speaker: Maki Umakoshi
Book: Romans
「信じるだけで救われる」と聞いたとき、みなさんはどんな疑問を持ちますか?「じゃあ、罪をどれだけ犯しても赦されるの?」「努力しなくても救われるなら、真面目に生きる意味ってあるの?」「救われない人がいるなら、それは神の失敗なのでは?」――ローマ書3章では、こうしたよくある誤解や批判に対して、パウロがはっきりと答えています。救いは確かに神の恵みによって、信仰だけで与えられますが、それは決して軽いものではありません。イエス・キリストが十字架で命をもって代価を支払ってくださったから、私たちは無償で義と認められたのです。
May 11, 2025
Series: Power Source
Speaker: Maki Umakoshi
Book: Romans
福音(良い知らせ)を本当に理解するためには、まず「自分が救いを必要としている存在である」という事実、つまり「悪い知らせ」を受け入れなければなりません。ローマ書1章では、聖書が示す二つの罪の形が描かれています。一つは、神の存在や真理を知りながらそれを押さえ込み、偶像礼拝や様々な不義に走る姿。もう一つは、他人の罪を裁きながら自分の罪には目をつぶる偽善の姿です。教会とは、罪を容認する場でも、人を裁き合う場でもなく、罪を抱える者たちがイエス・キリストの恵みによって少しずつ変えられていく場所なのです。
May 4, 2025
Series: Power Source
Speaker: Maki Umakoshi
Book: Romans
今日から「パワーソース」というタイトルで、ローマ書の新シリーズが始まります。この手紙を書いたパウロは、福音とは何かをはっきりと語っています。福音は、私たちの努力や良い行いではなく、神の力によって与えられる救いの知らせです。当時、ユダヤ人と異邦人の間で緊張があったローマの教会に、パウロは「信仰によって生きる」という真理を伝え、キリストにあって一つになるように励ましました。信仰とは、自分の力ではなく、神にゆだねること。今もこの福音の力が、私たちに語りかけています。
April 20, 2025
Series: Standalone
Speaker: Maki Umakoshi
Book: Romans
「頼んでもいないのに、なんでイエスは私のために死んだの?」そんなふうに思ったこと、ありませんか?実は、そこにこそキリスト教のいちばん大事なメッセージがあるのです。そして、その愛が本物だったという証拠が「復活」にあります。
July 7, 2024
Series: Standalone
今日はアリゾナの JIBC 教会の八十牧師がメッセージをしてくださいました。
October 29, 2023
Series: Essence
今週はハロウィンです。この時期になると必ず、クリスチャンはハロウィンをお祝いしてもいいのか?と一部で議論になります。ハロウィンに限らず、クリスチャンはタバコを吸ってもいいのか、お酒を飲んでもいいのか、ビデオゲームに没頭してもいいのか、そういう質問を時々されることがあります。こう言った問題は聖書に直接書いていないので、答えに困ることがあるのですが、どう考えればいいでしょうか?
May 7, 2023
Series: Apologetics
Speaker: Maki Umakoshi
Book: Romans
聖書を信じていない人と神のことについてどのように話せばいいのでしょうか?一つの方法は、私たちの心の中にある良心の基準がどこからきたのかと考えることです。絶対的な良心の基準というものがあるのでしょうか?