知的な言い訳によって決断を先延ばしにしてはいないでしょうか。あるいは、人生が変わってしまうことへの恐れから、心を閉ざしてはいないでしょうか。私たちはサドカイ人のように、「今持っているものを失いたくない」という恐れから福音を拒んだり、ガマリエルのように、「もう少し様子を見よう」と知的な保留の中でイエス様への応答を先延ばしにしてしまうことがあります。しかし、弟子たちは違いました。激しい苦しみや迫害の中にあっても、喜びをもって歩み続けました。なぜでしょうか。それは、自分を守ることではなく、ただひたすらイエス様を見つめていたからです。